Insight / Beyond

美術には、二つのまなざしがあると考えています。
ひとつは、作家が世界をどのように捉え、表現へと結びつけるのかという「作家のまなざし」。
もうひとつは、作品を前にしたときに生まれる解釈や感覚と向き合う「鑑賞者のまなざし」です。
本展では、作品そのものの魅力に加え、制作のお話やテキストを通して作家の考え自体にも惹かれた方々にご参加いただいています。
また、本展では作家紹介に、制作の背景や思考を記したテキストを添えました。
作家の言葉を手がかりに作品を見つめることも、先に作品と向き合った後に読み、自分なりの解釈を深めるきっかけとしていただくのも、本展が提案するひとつの楽しみ方だと考えています。
もちろん、言葉を介さずとも、作品そのものから受ける印象を自由に楽しんでいただくこともひとつの形です。
作家の思考と、自身の感覚のあいだを行き来するなかで、作品の世界観をより深く感じていただけたら幸いです。
企画者 大島悟
開催期間
会期:2026年7月13日(月)~7月18日(土)
営業時間:12:00~ 18:30 最終日17:00迄
会場:銀座中央ギャラリー第2
参加作家
新井あかね 太田朋伽 上手菜々美 中川未貴 マスコマユ 丸山華澄
新井あかね

武蔵野美術大学大学院造形研究科 修士課程 美術専攻日本画コース2019年修了
距離感や空気感を大事にして制作をしています。
岩絵具や麻紙の素材を生かした表現ができるように日々模索しています。
太田朋伽

愛知県立芸術大学大学院 美術研究科 美術專攻油画・版画領域2026年修了
日々消費されるイメージの中で、私たちはしばしば対象を「既知のもの」として性急に理解してしまう。
私は、眼差しに重なる他者の言葉や既成の価値観から距離を置き、その存在を解釈するのでは無く、「分かりきれなさ」を受け入れながら見つめたい。
絵画という営みのなかで、それを愛とするには利己的であるかもしれない。
しかしながら、私はその存在をそのままに尊重し、画面に留める方法を探っている。
上手菜々美

愛知県立芸術大学大学院 美術研究科 美術專攻油画・版画領域2026年修了
白亜地キャンバスの裏面を支持体として、油彩による制作を行なっている。
裏面は、縫い目に沿って白亜地の白が透けて現れたり、張りのある麻布の目が強く見えたりと、「地」そのものが画面の中で存在感を持つ。私はその地の状態を描写と同じ重さで捉えることを意識しながら、油彩転写や膠の滲み、半透明の白を用いて描いている。
制作は作品を完成させるためだけではなく、その過程で生じる気づきや課題を視覚化する試みでもある。作品を通して、自分自身の見方や考え方を確かめ続けている。
中川未貴

武蔵野美術大学大学院 造形研究科 修士課程 美術専攻 日本画コース2023年修了
私は、「物事は存在するのか」という問いを起点に、日本画を制作している。
現代社会では、他者との関係性は以前にも増して流動的になり、人とのつながりは容易に生まれる一方で、容易に失われもする。そのような関係性を意識するなかで、この問いが立ち現れた。
横山大観(1868-1958)は、対象の輪郭線を抑え、空気感や光の描写に取り組み、朦朧体を確立した。空気のような視覚的に不確定な物事と、現代的な存在認識には、明確な境界によって捉えることが困難であるという点において共通性がある。
私はこの共通性に着目し、輪郭線を抑えた描写や、日本画の画材の透明性を用いることで、存在と不在のあわいに漂う気配の表現を試みている。
マスコマユ

東京藝術大学美術研究科芸術学専攻美術解剖学研究室博士後期課程2024年修了
現東京藝術大学美術解剖学研究室教育研究助手
「生物の形」は、研究が進み、細胞の形や働きなど我々の肉眼で見えない部分まで構造がわかっているものも多い。ヒトという動物は、自分たちが本来知覚できる範疇を超えたところまで”知って”いる。
一方ヒトの体で生きている限り、そのサイズや性能を超えた感覚は本当の意味では理解できない。持っている感覚器とその情報を処理する脳がそれぞれ違う以上、鳥が見ている形と魚が見ている形がまったく違うように。
我々が他の生物や自然界を見る・知るとき、どこを「発見」し、何に感動するのか?芸術作品は、ある意味そういった「ヒトならではの視線」の記録だとも言える。そして同じヒト同士であっても、生物や自然物の形に対する認識や生き物への視線は、各々の持つ経験や知識、文化によって変わってくるし、また時代によっても変化していくだろう。
私は、ヒトとして生まれ、この現代を生きていることを頭の片隅に置きながら、作品制作を行っている。
丸山華澄

東京藝術大学大学院 美術研究科 絵画専攻2022年修了
知覚が対象を失う瞬間がある。星を眺めていると視点がどこにも定まらなくなり、降り続ける雪を見ていると反復する落下に自分の身体の境界が曖昧になる。
流星が空を高速で横切る時自分の存在さえ忘れてしまう。
知覚が手放された瞬間に、絵が降ってくる。
私は知覚と感覚の尾根を歩くように制作している。スマート望遠鏡が捉えたデータを起点に、眼視を離れた像を記述する「観測の絵画」。そして身体の経験を起点にした「観望の絵画」。しかしその区別は描くうちに崩れる。冷たいデータが身体に侵入し、絵の中に図が立ち上がる。冷たいデータを追ううちに絵が見えてくる。
私の身体は、個人の主観を離れた存在と情緒の間で揺れ動く地上の観測体と言えるだろう。
